ツツジ咲く金沢城を訪れた...

イメージ 1


ツツジ咲く金沢城を訪れた。

江戸初期に天守は焼失したが、
加賀百万石を象徴する城跡である。

2008年に国の史跡になった。

百万石と聞くと豊かな印象だが、
徳川宗家に次ぐ石高は“脅威”と映ったためか、
藩主の前田家は折に触れ、幕府からの多大な賦役を負った。

大工事となった江戸城の普請では、実に工事区域の6分の1を担当。

この前田家で多くの苦労を重ねたのが、
藩祖・利家から3代目の利常だ。

利常は家康にも警戒されたという覇気の持ち主。

後に金沢城の補修や新たな家臣の採用を巡り、謀反の疑いをかけられた。

誤解を解くため命を賭して江戸に出向く一方、
国元の文化・芸術を振興し、農業を改革。

将軍家との緊張関係の中、120万石の家領を保ち、
「政治は一加賀」とたたえられた。

中国・唐の太宗と臣下の問答等を記した為政書『貞観政要』に
「創業は易く守成は難し」と。

“創業と守成のどちらが難しいか”

と太宗から問われた魏徴は、創業の辛苦を知る者がいなくなった時、
守るには創業にも増した激闘が必要になる等とした。

金沢城の窓や石垣には防御の工夫が凝らされ、「守成」の精神が光る。

事業を守り発展させるために、創業の心を継ぎつつ、
それを上回る情熱で挑戦を重ねよ――そう教えているようだ。(由)