新春のドラマを白雪の富士が見守っていた。

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新春のドラマを白雪の富士が見守っていた。

熱戦が繰り広げられた第93回箱根駅伝

選手たちの力走、快走、襷を託して倒れ込む姿……

全力を振り絞る勇姿が、真冬の光の中で躍動していたる。

2年ぶりの出場となった創価大学

シード権獲得には一歩及ばなかったものの、往路で一時5位、
復路で3人抜きを見せるなど、並み居る強豪を相手に12位と大健闘した。

創大の出場は2回目。

歴史はまだ始まったばかりだ。

駅伝の誕生は1917年、箱根駅伝が始まる3年前。

首都が東京に移されて半世紀となる慶祝行事として、
京都から東京を目指す全23区の競走だった。

この時の走者の一人が、後に箱根駅伝を創設する金栗四三である。

金栗は日本が五輪に初めて代表を送ったストックホルム大会(1912年)
にマラソン選手で出場。だが途中棄権という無念の結果に終わる。

彼は日記に悔しさを記しつつ、こう続けた。

「しかれども失敗は成功の基にして、
また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ」

と(読売新聞運動部『箱根駅伝中公新書ラクレ)。

この経験が箱根駅伝を生み出し、日本長距離界の礎を築いた。

創大の赤と青の襷は未来へとつながった。

不屈の創大魂を受け継いだ次の世代の活躍に期待したい。(朋)