どうして月初めの「一日」を「ついたち」と読むのだろう。

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どうして月初めの「一日」を「ついたち」と読むのだろう。

続く二日、三日、四日は「日」を「か」と読むにもかかわらず……

「ついたち」は「月が立つ」
という意味の「つきたち」から転じた読みという。

旧暦では月の満ち欠けを暦の基準にしていた。

1カ月の始まりは「新月」の日。

月が見えない状態から満月に向かって少しずつ膨らみ始める。

その日を「月が立つ日」と、いにしえの日本人は捉えた。

もちろん新暦の今では月の満ち欠けと暦は一致しない。

きょう1日は「上弦の月」である。

暦に気を留める暇もないほど忙しい人も多いかもしれないが、
きょう「ついたち」から心新たに出発したい。

昼は夏至に向かって強さを増す太陽の輝きとともに、
夜は上弦の月から満月へ、
日々満ちていく月の姿に自身の前進を重ねながら。

仏典では仏の振る舞いや威徳などを表現する譬喩として、
満月が多く用いられている。

日蓮大聖人は、
法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し」(御書1501ページ)と仰せだ。

「つきたち」は「月発ち」とも書く。

「私は勝った!」と満足できる1カ月へ、
「月月・日日につより給へ」
(同1190ページ)の信心で成長の時を刻みゆこう。(之)